マダガスカルでカラヲステル

マダガスカルでのインターンブログ

物価が全て-レユニオン-

 

モーリシャスと共にレユニオンへも渡航した。マダガスカルから直接モーリシャスに行くよりも、マダガスカルからモーリシャスを経由してレユニオンに行く方が航空券が安いというのは何故だろうか?飛行機に乗る回数も増えるのにも関わらず、ほぼ半額であったので渡航するに至った。人に尋ねながら安宿に辿りつくも“フランス語が喋れない人は泊めません”と英語で言われ門前払いにあった。近くに歩いている人に泣きついたら観光案内所まで車に乗せてくれた。捨てる神あれば拾う神ありということなのだろうか。

 

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そもそもレユニオンという国自体、マダガスカルに渡航する前まで認識すらしていなかった。そしてレユニオンという国という表現が既に間違っていて、フランスの海外県になる。要するにフランスであり、南半球にある唯一のヨーロッパ領土だ。サッカー好きの人なら知っているかも知れないが、以前リバプールで活躍したフローラン・シナマ・ポンゴルの生まれた場所になるそうだ。モーリシャスから飛行機で40分の距離で、2010年に「レユニオン島の尖峰群、圏谷群および絶壁群」としてユネスコ世界遺産に登録されている。ここで感じたことをまとめます。

 

アウトドア天国

モーリシャス程ではないが非常に綺麗な海に囲まれている。サーフィンが盛んで島の西部には波を求めてサーファーが集まる。そして島の中央には火山活動の無い標高3069メートルのピトン・デ・ネージュ山が、また島の南東部には火山活動のある標高2631メートルのピトン・ドゥ・ラ・フルネーズ山がある。トレッキングが非常に人気で海外から多くの観光客が山を登りに来るそうだ。水面下40mで行うマリンスポーツから地上3000mを超す空中スポーツまで、約70の異なるアウトドアスポーツがある。島の北部では、1000㎞に渡ってトレッキング道が整備されていて、マウンテン・バイク、四輪駆動車などに乗れる。パラグライダーやヘリコプター、超軽量エンジン付き飛行機で、上空を飛行し、起伏に富んだ景色を見ることが出来る。またクロカジキキハダマグロなど 大魚釣りに挑戦することも可能で、まさにアウトドアの天国だ。

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美人が多い

レユニオンもモーリシャス同様クレオール系の民族が多い。ただ少し違うのはツンとしている印象を受けることだ。それはフランスという意味で先進国の人と接するときに感じるものと同一だ。インドの遺伝子3割、東南アジアの遺伝子2割、アフリカの遺伝子2割、ヨーロッパの遺伝子3割って感じ。南米に住む人の顔立ち、アラブ地域に住む人の顔立ち、中国に住む人の顔立ちと言った様に、ある程度地域によって顔立ちを想像することが出来るが、レユニオンに住む人たちは本当に様々な顔立ちの人が多く不思議な感じだ。綺麗な人可愛い人がたくさんいてキョロキョロしてしまった。インドに行った時の何とも言えないお香(?)のにおいが街に溢れていて、すごく心地良かった。

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物価が異常

フランスと考えれば物価が決して安くないのは容易に想像がつくのだが、フランスから多くの物輸送している為、更に物価が高い。マダガスカルなら6000アリアリ払えば食べられそうなものが11ユーロ。約240円が約1400円。タイなら100バーツで泊まれる部屋が30ユーロ。約330円が約4000円。極狭トイレなしシャワーなしベッドのみの部屋が、約4000円ってあり得ない。安い部屋なら汚い部屋でも我慢できるけど、それだけ払って汚い部屋は我慢できない。そしてスタッフの態度も最悪。物価が高いと僕は何にも出来ません…。

 

果物がすごい

市場の彩が鮮やかだった。色々な種類の果物がびっしり並んでいるところを見ると、南の島に来たんだなあと強く感じる。もちろんマダガスカルも物凄く豊富な種類の果物が安く手に入るのだけれど、理路整然とした綺麗な道で美しく並べてあるのでは印象が全く異なった。ただ異常なほど値段が高いので、目ではなく舌で楽しみたいのならマダガスカルに軍配。

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滞在を振り返ると物価の高さに泣かされて一秒でも早くレユニオンを出たいと思っていた。魅力がたくさん詰まった国ではあるのだが、もう一度来るかと聞かれたら…。

 

アタリマエの定義を探しに…

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ひとつの飴が教えてくれたこと-モーリシャス-

 

ビザの更新の為にモーリシャスへ行ってきた。マダガスカルの生活に慣れ始め渡航当初に感じていた強烈な印象が薄れ始めていたので、改めて他の国との比較する意味でリセットの役割を果たした。出国するために勿論空港に行ったのだが、建物の中にまで物乞いの少年たちがいる。彼らからしたら金持ちの旅行客に会えるという意味で非常に効率の良い場所になるわけだ。チェックインカウンターに航空会社の記載はないし、驚く程塩対応のスタッフ。税関でパスポートを提示するも電話をしながらの作業で楽しそうな会話が終わるのを待たされる。搭乗ゲートは何にも記載無くアナウンスも無く遅延し、みんながスタッフに同じ質問をするから彼らもイライラし出す始末。こんなにも落ち着かない空港は初めてだった。結論から言うと多少なりともマダガスカルナイズされた感覚のおかげで、モーリシャスに対して物凄く大きなカルチャーショックを覚えた。印象に残っていることをまとめます。

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海が綺麗・山が綺麗

やっぱりモーリシャスの海は綺麗。スノーケリングで海を覗けば熱帯魚が回遊していて本当に美しくて大満足。南国そのものでハネムーンの行き先として憧れの地であることに納得。海だけでなく山も綺麗だ。トレッキングも盛んでこの国に滞在する限り飽きることはなさそう。豊かな大地が育んだ景観はどれも絶景。

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雰囲気が圧倒的異空間

モーリシャスはマダガスカルから飛行機で東に1時間40分、インド洋に浮かぶ人口100万人強の小さな国だ。車を使えば国内一周は容易なほど面積も小さい。そんな島に住む人々の顔立ちはインド系でいわゆるクレオールの血が混ざっている。インドの遺伝子5割、アフリカの遺伝子2割、東南アジアの遺伝子3割といった感じだろうか。住民の8割は、初期の入植者たちの子孫だが、インド系、アフリカ系、フランス系、中国系が混ざり合っている。オランダ・フランス・イギリスの植民地支配を経験したためなのか、この国の料理、音楽、建築には、豊かで文化的な多様性が感じられる。東南アジアを彷彿とさせる街中に旅行中の欧米人が歩いている。マーケットを覗けばクレオールの現地人が商いをしていて、少し歩くとヒンドゥー寺院が姿を現す。彼らが幾度となく口にした言葉が“調和”だ。マダガスカルの人々は中国人やインド人やフランス人を嫌っている人が多い。対照的にモーリシャスの人々は仲良く手を取り合いながら“調和”していると語った。

 

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宿のおばちゃん。めっちゃ優しい

国が綺麗

マダガスカルに少し染まっているせいでかなり衝撃的だったのはこのポイントだ。空港が異常なほどキレイ!道路がキレイ!空気がオイシイ!物乞いがいない!信号機がある!ハエがいない!レストランのお皿が汚れていない!道に汚水が溜まっていない!椅子の座り心地がいい!エアコンが効いてる!街にゴミが落ちていない!そして何よりも驚いたのがバスがちゃんとバス!!!!! 距離的には大して離れていないのにここまでの格差が生まれてしまうのは何故なのだろうか?

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心遣いが素敵

旅行の最後に非常に良い考察に繋がる出来事があった。空港へと戻る直前でレストランに入り食事をした。料理が美味しかった上に接客してくれた女性はとても感じの良い美人の方で、マダガスカルの普段の食事と比べて非常に満足度が高かった。お会計は小さな箱の中に領収書が入っており、お金を入れて返却するというシステムだ。既に満足感が伴っていたが、その箱の中を見て感動を覚えた。飴が1個入っていたのである。そして裏返すと日本語で“グレープ”と書いてある。僕が感動を覚えた理由は飴を食べたかったからでも、日本語が恋しくなったからでもない。日本で食事をすれば飴やガムを貰うことは決して稀なことではないだろう。期待を遥かに上回る心遣いを感じたからである。マダガスカルでそのような心遣いを感じることは全く無かったので、期待を抱くことすら無かった。言い換えればハードルが極めて低い位置に設定されていた。そのタイミングでもらった、たったひとつの日本語が記載された飴は物凄く光って見えたのだ。その心遣いが物凄く光って見えたのだ。実は人を感動させたり、人に好印象を持って貰うことは難しいことでは無いのかも知れない。小さな小さな心遣いがその人にとってはダイヤモンドの様に眩く光る可能性を秘めている。アクションの大きさは問われない。小さなことならいつだって誰にだって出来るはずだ。そんな軽い気持ちで何か相手が喜びそうな心遣いを以ってして良い意味で期待を裏切ろう。

 

決して日本から近い国ではないモーリシャス。

でもまた戻ってくると思っている。

 

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都市と田舎-チャンスの捉え方-

 

アンタナナリボは異常な街だ。一国の首都であるが故に大きな都市になっている。物凄い数の人が往来し、何キロにもわたる渋滞が起こる。ゴミが溢れかえり、河川の汚染も凄まじい。仕事を求めて都市に上がるも思うように見つからない人がホームレスになれば、治安も悪化する。もちろん地方都市に比べて利便性は高いのだろうが、住みたい街かどうかと聞かれると僕は住みたくはない。対照的にアンタナナリボから車で一時間も走れば街並みががらりと変わる。渋滞とは一切無縁で家の作りも一変する。緑が生い茂り、流れる川も綺麗だ。人も素朴でスリや強盗も少なく治安が良いとされる。アンタナナリボの様にお金を持っていそうな綺麗な格好をしている人は少ないが、ホームレスの様に貧しい身なりをしている人も少ないというのが印象だ。何よりも田舎にいると生きていることを実感する。生かされていない、生きているという感覚だ。

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アンタナナリボだけに限った話では無くて、日本にも完全に当てはまると思っている。「地方再生」や「ふるさと納税」という言葉を頻繁に聞くようになったり、「まだ東京で消費してるの?」というブログがアクセス数を集めている。地方という言葉や田舎のという言葉の定義が曖昧なため、何を指しているかも曖昧ではあるが、何となく言いたいことが分かるような気がした。

 

学生時代の同級生たちは社会人として働き始めた。地元から離れて地方で生活を始めた人もいる。“何もない”という言葉でネガティブに形容する人が多いが、その真意はどうなのだろうかと思うことがある。もちろん「隣の芝は青い」という言葉があるように東京近郊に生活圏がある僕が、他の地域のことをポジティブに捉えてしまう傾向があることは否めない。ただ最近は夜も出歩けず、娯楽と呼べるものも殆ど無い状況にも関わらず否定的に捉えていない。やはり場所ではなくて人でコミュニティは形成されていて、都市の生活が快適であると一概に言うことは出来ないと僕は思っている。

 

将来僕は都市部を離れるだろう。マダガスカルに来て考察したことのひとつに、所有を限りなく減らすという観点があった。その論に従うなら都市の様に全てのモノが溢れかえる場所にいる意味は無くなる。その生活圏が日本なのか海外なのか今のところ分からないが…。東京で鮮度の落ちる魚をわざわざ高いお金を払って食べる必要は無いし、狭い部屋にわざわざ高額な家賃を払う必要もない。会社へ行って1日中パソコンと向き合う仕事をするなら敢えて人が密集する場所へ通勤する必要もない。事実リクルートは働く場所の制約を取り払うことを始めた。

 

社長に借りた本の中で、世界一の投資家ウォーレン・バフェットは「皆が投資を敬遠している時こそチャンスだ」と言っている。リーマンショックの世界的不景気な時期こそチャンスだと捉えていた。

         ウォーレン・バフェット 賢者の教え―世界一投資家思考の習慣 (経済界新書)

フィナシャルタイムズ紙で「今後10年で未来に最もインパクトを与える ビジネス理論家」と賞されリンダ・グラットンは著書「WORK SHIFT」の中で“2025年は世界中のどの都市にも人口密集し過密化が社会問題となる一方、地方部は過疎化が進む”とするシナリオを描いている。バフェットの言葉を借りるならば2025年は地方部にチャンスが宿る。

 

        ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

 

社長は勿論のこと、ここで生活する日本人の方々は僕なんかより圧倒的に日本の情勢に詳しい印象がある。将来に対する考察も冷静で的を射ている。日本を離れマダガスカルに滞在すると、日本について客観的に見つめ直すことが出来るのかも知れない。

 

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カメレオン-2016年最初のお熱-

 

2016年が始まった。本当にびっくりするほど年を越した感が無い。年末感も無ければ正月感もまるでない。10月にマダガスカルに来たが、東京と気候が全く同じであった為に季節が自分の中で周っていない。街の様子はどこもかしこも店が閉まり、酒を飲んでいる人たちが昼間から騒ぐ。それ以外は全く特筆すべき点は無くて、日本よりはるかにやることが無い。もとから働く気の無いマダ人が更に働く気を無くすから大変だ。

 

バスに乗ったら隣に座っていた女の子に吐かれた。かかったというレベルでは無くて、完全に浴びた。帰りのバスは空席があるのにも関わらず全てのバスに“Full”と言われ続け何十台ものバスに断られ3時間が経った。暗くなるのを恐れてヒッチハイクを敢行して、長距離運ちゃんの物凄く大きなトラックに乗せて貰うも、悪路をかなりの重量の荷物を積んで走行するので、驚く程遅い。着くころには暗くなってしまうのでトラックを乗り換えるに至るが、帰宅間際に渋滞にはまり結局暗くなる。2016年きっと幸運に過ごせそうだ。

 

先日道を木の下を歩いていたら、葉っぱが落ちてきた。と思ったら、カメレオンが降って来た。マダガスカル原産のカメレオンが非常に多く、キツネザル同様に研究者の多くがこの国に来るそうだ。日本でカメレオンと遭遇する機会は全く無かったので、初めて生きているカメレオンを見た。それを機に興味が沸いて、年末年始特にやることも無かったのでカメレオンに会いに行ってきた。物凄く愛くるしくて、最近はカメレオンにお熱だ。

 

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手足が二股に分かれているところが愛くるしい。

 

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歩くのが遅くてすぐ捕まっちゃうのが愛くるしい。

 

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肩が凝りそうな程首が詰まっている感じが愛くるしい。

 

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枝をぎゅっと掴んでいる感じが愛くるしい。

 

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尻尾がくるくるしているのが愛くるしい。

 

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全然隠れる気が無くて目立っちゃってるのが愛くるしい。

 

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小っちゃいのもいて愛くるしい。

 

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なんか太ってるのも愛くるしい。

 

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なんかやばい色してるのも愛くるしい。

 

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なんか角みたいなやつが愛くるしい。

 

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餌を食べる瞬間は全然愛くるしくない。

 

個人的なカメレオンブームがすぐ終わりそうな気がするのは、きっと勘違いだろう…。

 

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マダガスカルには”人”がいる-心理的な居場所-

 

夜間タクシーに乗っていたら検問に止められた。警察官にパスポートの提示を求められ、パスポートのコピーを提出したら正式な身分証明書ではないと突き返された。「次からは必ず携行するから、教えてくれてありがとう。本当に親切ですね、またどこかでお会いしましょう。」波風立てないように、その場を後にしようとした。”I want drink, give me money”片言の英語で呟かれた。タクシーの運転手は車から降りて警官の隣にいるし、全てがグルの犯行のような気がした。賄賂の要求はこの国では至極当然のことであり、悪びれる様子はない。公式な身分証明書を持っていたところで、マダガスカル語・フランス語が喋れない日本人がいたらお金を巻き上げていたのだろう。賄賂というか恐喝だ。飲み物が何本も買えるような金額を請求され、泣く泣く払うことになった。外国からの多額の援助を受けているというのに、外人に酷い仕打ちをする。この警察官は幸せな脳味噌しか持ち合わせていないようだ。

 

最近非常に共感する一文に出逢った。一度日本でお会いしたことのある方の言葉で、マダガスカルに滞在する今の自分の心情や感情を的確に捉えた。

 

 ”居場所とは、場所では無くて人間だ”

 

最近思うことのひとつ、東京に戻るよりもマダガスカルにいる方が快適に、そして楽しく生活をすることが出来るのではないだろうか。前述したように警官にお金を巻き上げられたり、手荷物の全てを盗まれたりしているのにも関わらずだ。街はゴミで溢れかえり、人に何時間も待たされて、夜は絶対に出歩けなくて、時には食中毒になるにも関わらずだ。どんなマイナスな要素があったとしても、それをプラスにする要素がある。それは、今の僕にはマダガスカルに居場所があるからだ。

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社長にインターン生として与えてもらった居場所がある。日本語教師として与えてもらった居場所がある。家族の一員としてホームステイ先に与えてもらった居場所がある。日本人としてマダガスカル日本人会から与えてもらった居場所がある。

 

僕が持つ居場所に共通して言えることは、僕のことを迎え入れてくれる温かい人がいることだ。それは表面上の意味合いでは無くて、楽しい時に一緒に笑ってくれる人や困った時に親身に助けてくれる人がいることである。僕にとって必要な人が傍にいてくれることであり、僕のことを必要としてくれる人が傍にいることである。居場所は人によって構成されるものであって場所によって構成されるものではない。日本人だからと言って日本に居場所があるとは限らないし、家があるからと言ってその場所が居場所になるとは限らない。会社に勤めていたってただ仕事をこなして、表面的な交友関係を築いているだけでは、そこは決して居場所にならない。極端な例だが、自分の居場所を構成する人の全てがマダガスカルに住んでいるならば、日本人であっても日本では無くマダガスカルが居場所になる。心理的な居場所こそ本当の居場所になる。

 

今回手荷物を全て盗まれた。本当に親身に心配してくれる人がたくさんいて、言葉に出来ない程嬉しい気持ちになった。物を無くしたのにも関わらず、周りの人の好意や思いやりで色々な物を貸して頂いたり貰ったりした。結果的に物が増えているから不思議だ。手荷物を盗まれる経験は、自分の居場所のひとつがここマダガスカルに出来たことを実感させてくれる経験で寧ろ感謝すら覚えている。

 

やっぱり社長の居場所のひとつはマダガスカルにあると思った。社長は何か思いついた時におもむろに知り合いに電話を掛ける。社長が必要とする人は数え切れないほどここにいる。街を歩くだけで何人もの人に声を掛けられる。社長を必要としている人も数え切れないほどここにはいる。辛酸を舐めてまでも十年間マダガスカルに根を張り続けているのは、僕が抱いたような感情をここマダガスカルで同様に感じているからかも知れない。

 

今度は僕が誰かの居場所を作る番だ。場所では無くて人間で居場所は作れるのだから、みんなでみんなの居場所を作ればいい。全ての人にとって地球の全てが居場所になる日が来たら良いなと思った。

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ポジティブな感情は伝播する-真夏のクリスマス-

 

人生初の真夏のクリスマスを過ごした。お世話になっているホストファミリーのクリスマスパーティーに参加させて頂き、非常に楽しくて有意義な時間を過ごした。「親戚が69人いて全員を招待しているの」と言われたが、パーティー会場は自宅でありせいぜい20人ぐらいが限度でそこまで多くの人が来るわけはないと思っていた。蓋を開けてみると69人全員は来なかったものの、45人近くの親戚が集まり度肝を抜かれた。酸欠のクリスマスパーティーは今までもこの先もきっと経験しないだろう。そしてまさに今猛烈な下痢に襲われている。食中毒にかかったように体はだるくて熱もあるかも知れない。どうやらサンタクロースに素敵なプレゼントを貰ってしまったようだ。

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今までクリスマスパーティーをしたことがほぼ無かった。悪く言うつもりは全く無いが、僕の両親は家族のイベントごとをしない人だ。誕生日会をした記憶も無ければ、家族で外食した記憶もほぼ無い。卒業式に来てもらってもいないし、サッカーの試合も見に来て貰っていない。逆に自己責任である限りは、僕がやることに決して口出しをしない。アメリカが軍事介入しようとしているさなかにイスラエルに独り旅をしても、内定を全て蹴って大学を休学しても、マダガスカルインターンすることに対しても何も言わなかった。放任されている。今回のクリスマスパーティーで全ての人が楽しそうに笑っていた。プレゼントを貰って喜ぶ子供たちと、喜ぶ姿を見て安堵する父親・母親の表情が印象に残っている。家族って良いなと純粋に思った。

 

プレゼント交換が非常に盛り上がった。ラッピングがおぼんの様な形状をしていて中身が何かずっと気になっていたが、封を開けると本当におぼんだった時はさすがに笑った。他にもその辺で売っている中国製の傘や長針が重力に逆らえない時計など、綺麗な装い・豪華な食事とはあまりにも対照的過ぎるプレゼントを見て、さすがマダガスカル人は発想の斜め上をいくなあと思った。ただ子供たちへのプレゼントは盛大にそして豪華に行われた。子供たちが靴を部屋に置いて2回に移動する。その間に靴の傍にプレゼントをこれでもかと並べる。物凄い量のプレゼントが並べられ、両親・親戚の子供への愛情が見て取れた。抱えきれないほどのプレゼントを抱える彼らの姿にみんなの頬が弛む。ほっこりした。

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クリスマスパーティーを通じて感じたこと、ポジティブな言動は伝播する。

 

パーティー中に停電が3回あった。1年で一番大きなお祭りの日に停電が起こったら何を思うだろうか。綺麗に飾られた電飾は全て消え、約45人が暗闇の中身動きが取れなくなる。クリスマスだけは何とか電気が安定供給出来るようにと努力する気はないのか?しかし、親戚一同は拍手喝采で歌すら歌い始める。停電しているにも関わらずだ。

食事のテーブルが計4回倒れた。中国製なのかしっかりと固定されない。真っ白な綺麗なドレスがワインの朱に染まる。びしっと決めたスーツにケーキの生クリームが付く。折角盛り上がっていた気持ちは台無しで、シミにならないように汚れを拭き取ることに必死になる。とおもいきや、この時もまた拍手喝采でみんなが盛り上がる。

その会場にいる限りでは、停電した時もテーブルが倒れた時もなぜだか消極的な感情は湧かなかった。

 

ポジティブな言動は人に伝播する。どんなに悲惨な目にあっても、前向きな人と一緒にいたり前向きな雰囲気の場所にいると、決して負の感情は湧かなくてその出来事すら記憶に残る面白い記憶として脳裏に残る。日本で松岡修造が人気なのは非常にシンプルでポジティブな彼を見ていると、伝染してポジティブになれるからだ。同様にネガティブな言動も伝播する。気まずいと思っている時点で、場の雰囲気を壊してしまう。雰囲気が悪いからつまらないのではなくて、つまらないと思うことが場の雰囲気を悪くする。ネガティブなことにエネルギーを浪費することは無駄で起きてしまったこと、発生してしまったことに対してネガティブな言動を取ることにも恩恵は何一つない。先日荷物を盗まれたが、あまり気にせず断捨離出来たとポジティブに捉えていた。すると面白いことに荷物を失ったことを帳消しにするほど、いや寧ろプラスになるほど嬉しくて価値がある経験をたくさんさせて頂いた。ポジティブな言動がポジティブな事象を呼び込んだ。

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ネガティブな人と貴重な時間を過ごすのはやめよう。見ている景色の色彩を全て奪って、楽しい経験すら無駄になってしまう。

ポジティブな人と時間を共有しよう。対照的に色彩の無い景色にも鮮やかな色を塗ってくれる。

 

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日本語教師ふたつの学び-無知の知と幸福感-

 

最近マダガスカル日本語学習者数はケニアを越えてアフリカで一番になったそうだ。JICAの日本語教員も派遣され、マダガスカル日本語教育が更に拡大される。世界200か国以上に国の中で唯一日本だけで使われる日本語が、マダガスカルで拡大していることを本当に嬉しく思う。決して日常生活の中で日本語を使う機会が多いわけではないし、習得が容易な言語であるわけでもない。それにも関わらず日本の持つ文化をこよなく愛し、アニメや武道を日本語の原文を通じて嗜みたいと思ってくれている。先日ブログで書いたが、日本が持つソフトパワーの力は絶大だ。

 

会社のCSR活動の一環として日本語の教師を二か月間務めていた。普段何気なく使う日本語を教師として扱うことは本当に難しく、思うように伝えることが出来ず苦戦する日々を過ごした。しかし、僕の拙い講義を真剣な眼差しで聞いてくれる生徒を見ていると、真摯に向き合いたいという思いが生まれ非常に貴重な時間を過ごさせてもらったなと思っている。当初の不安な気持ちや何をしていいか分からない困惑はいつしかどこかに消えて、教えることを楽しく感じる様になり、授業の終了を寂しく感じ出しているから不思議だ。授業の最後には生徒からマダガスカルの伝統的な洋服と帽子と織物を頂いた。みんなで食事に出かけ、もっと授業をしてくれないかとの依頼まで受けてしまい本当に先生冥利に尽きる。本当に嬉しかった。二か月という限られた時間の中でどれほど彼らにとって有意義な時間を提供出来たかは分からない。逆に彼らから学ぶことが多かった。特にふたつのことを強く感じている。

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①どこまでも学び続けようとする姿勢

最初の授業で生徒と顔を合わせた時に驚いたこと、それは生徒の平均年齢が高いということだ。失礼ながら僕と年齢の変わらない大学生が中心になると思っていた。しかし実際には大学生よりも圧倒的に社会人、特に年配の方が多かった。日本語学習に対する姿勢も素晴らしくノートに一字一句逃さず書くのはもちろんのこと、ノートに質問をびっしり書いて僕に渡してくれた生徒もいた。

 

特に印象深かったのは日本人ガイドを務める方までもが僕の生徒になってくれたことだ。彼とは一緒にムルンダヴァの旅行に行ったのだが、旅行中ことあるごとに僕を質問攻めした。旅行に添乗した日本人の数は1000人を超え、来年還暦を迎える。日本語を扱うプロフェッショナルである彼も、決して驕らず謙虚にそして貪欲に日本語を学習し続けている。

 

古代ギリシャの哲学者ソクラテスの名言のひとつに「無知の知」がある。

真の知への探求はまず自分が無知であることを知ることから始まる。無知であることを知っているという時点で、相手より優れている。賢い者ほど無知であることを自覚している。まさにこの言葉が当てはまり、「無知の知」をもってして真の知への探求を怠らない姿勢に感銘を受けてしまった。本当に見習うべき姿勢を教えてもらった。

 

②求められた時、応えられた時の幸福感

僕は日本語の教師を務めていた。生徒は日本語を学習するために授業に訪れる。ここには生徒と先生という関係が生まれる。生徒は先生に対して日本語の指導を求め、先生はそれに応える。誰かに求められる人になるということが、凄く幸福感が伴うものであることを実感している。

 

マダガスカルで日本人による日本語の授業は今現在、僕が唯一の存在だ。最初はそれに期待して授業に参加する。ただ、二回目からは授業の質が低ければ誰も来てくれはしない。幸運なことに二か月を通して生徒が減ることはほぼ無かった。毎回参加してくれる生徒がいることに「あなたに期待しているよ、あなたを信用しているよ。」という思いを受け取ることが出来る。自分が誰かにとって役に立つ存在になることは、自分を肯定する根拠になる。物凄く大げさに言うならば、自分に価値が生まれた・自分が生まれてきて良かった、という感情が幸福感として胸に沸いた。

 

僕のことを授業以外でも“先生”と呼んでくれる人がいることも本当に嬉しく感じる。それは先生と生徒という縦の関係を構築できたからでは全く無くて、相手の求めるものに応えられたことを意味するからだ。時には難しすぎることを求められて応えることが困難な時もある。ただ期待できない相手、信用できない相手に要求などしない。相手に頼りすぎることが決して良いことだとは思わないが、時として相手に何かを求めることは相手へ賛辞を意味するのかも知れない。

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大切な人だから失礼なお願いをしてはならないという考えはやめよう。大切な人だからこそお願いをしよう。それは期待・信頼、相手への賛辞を込めているのだから。そう思った。

 

教えるという行為は自分が完璧に理解しているからこそ出来る行為である。故に人に何かを教えることは自分の理解を復習する良い方法であり、効果的な勉強に繋がる。今回の日本語教師経験は素晴らしい学びになった。今まで生きてきた中で一度は感じたことのある、アタリマエの感情を復習する機会になったのだから。

 

アタリマエの定義を探しに…

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