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マダガスカルでカラヲステル

マダガスカルでのインターンブログ

日本人にみる不思議な民族性

先日、日本と関係があるマダガスカル人および在留邦人の交流会に参加した。

参加したマダ人は多くは来日経験があり、日本語を堪能に使いこなす人もいる。

この前テレビ東京の番組でマダガスカルは99.9%の人が行かない国と形容された様だが、対照的に日本に対して親近感を抱いてくれているマダ人は多い。

日本語学習者数はアフリカで見るとケニアに次いで第二位だそうだ。

数字を明示しマダガスカルと日本の距離を敢えて隔てる様な表現であるとひねくれた解釈をしてしまった。日本が好きなマダ人にこの事実を伝えた時の表情が脳裏残っている。

 

典型的な日本人と久しぶりに会って感じたことをまとめます。

(暗に社長が日本人離れしていることを示唆しています。)

 

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過度な礼儀作法

マダガスカル日本大使、書記官、医務官、JICA所長など普段会えない人たちに挨拶をして、幸運にも直接話をする機会を得た。

話をして下さった方々は例外なく素敵な方たちで非常にいい経験になった。

ただ、途中から心に湧き出た感情は「嫌われないように、失礼のないようにそつなく話す」ことだ。誤解を恐れずに言うならば、相槌を打って無難にその場を乗り切ろうと、早くこの場が終わればいいと切に願った。

日本人の美学として目上の人を立てるというものがある。素晴らしい美徳だと思う。

ただ無意味に偉い人の前で過度にそわそわして過度に気を遣って過度にぺこぺこしている自分に違和感を覚えた。本当の意味での尊敬、思慕、敬い、忠誠とは圧倒的乖離していて、客観的に言うならば自分の身を守るためだけの処世術でしかなかった。自らの醜さが際立った。マダ人は目を見て挨拶をして自然体で会話をしている。過度な表現はない。本質的に日本人よりも相手を立てているような気がした。

 

尊敬の定義

大使とか所長とか書記官とか社長などの肩書や地位で優劣を判断してはならない。社会的には偉い人たちであるのは間違いないが、僕にとって偉い人が尊敬に値する人であると安易に結びつけてはならない。敬うか否かは僕自身が決めて良い。僕にとっては安倍首相なんかより父親のほうが尊敬出来て凄い人であるし、マダガスカルの大統領なんかよりお世話になってる社長のほうが尊敬出来て凄い人である。極論を言えば道に迷ってる時に案内してくれた身なりが決して綺麗とは言えない彼だって、見ず知らずの外人に底抜けの優しさをくれたと思うと僕に真似できないことであり尊敬に値する。敬うか否かは自分で決めて良い。肩書で人を判断せず自分にとってどのような人であるのかで判断しよう。

 

言葉の裏にある真意

言葉の裏に何か異なる意味合いを示唆している。フィリピンでインターンをしていた時に現地人に“日本人は本音を言わない”と言われた。自覚したことは無かったがマダガスカルに到着してから久しぶりに日本人に会ってふと思い出す。“日本人の駐在員の夫人が集まるとマウンティングが始まる”と社長が言っていた。笑 思ったことを思った通りに言う。もの凄くシンプルでもの凄く難しいと感じた僕は日本人だ。

 

 

日本から離れた土地で日本に触れたら違和感が溢れ出した。

日本人のことを批判しているのではない。現地人と接することが増えたからこそ日本人が特異に見えてしまった。外から日本人を見たという意味で殻を捨てるきっかけになると思った。

日本人だからとか、それは日本の文化だからとか、

何の解答にもならない無意味な言葉を紡ぐのではなく、

不透明で曖昧な部分を問わずにはいられなくなった。

 

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ジャカランダの花が綺麗に咲いていた

 

アタリマエの定義を探しに…