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マダガスカルでカラヲステル

マダガスカルでのインターンブログ

アンパンマンになろう-ムルンダヴァで感じたお金と感謝の関係性-

 

先日、急遽前日に日程を決めてムルンダヴァへ国内旅行に行った。ムルンダヴァはバオバブ並木が有名で日本人なら一度は目にしたことがある絶景のひとつだ。社長に相談したところ「アンタナナリボ以外の都市を見ることも勉強のひとつである」と物凄く忙しい中でも快諾して頂き実現した。本当に感謝している。この旅行で物凄く多くのことを感じ、物凄く多くのことを考えた。人間の持つ汚い欲求であったり、人の持つ美しく素晴らしい欲求であったり。この感情を言語化するのは本当に難しい。

 

今回の旅行は2軒の家で計4泊ホームステイをさせて頂いた。マダ人の日本語ガイドのご厚意で無料で旅行案内をして頂いた上に、親戚の家と友人の家にお世話になってしまった。どうしてこんなにも未熟で足らない自分に愛情を注いでくれるのか深く内省してしまう程、本当に本当に本当に人々優しさに溺れしまった。

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しかし、この旅で嫌悪感を隠し切れず表情を歪めた瞬間が三度あった。

“お礼にお金を置いていきましょう”

“ガイドのお礼にチップを払いましょう”

“今日頑張ったからお礼としてチップをくれないか?”

 

ケチな人間と思われても、エゴの塊だと思われても、日本人は嫌いだと言われても構わない。僕は感謝の気持ちとしてのお金は絶対に払わない。誤解を恐れずに言うならば、チップの習慣を持ち気前よく払う人米人や欧米人を見て、浅はかで醜い人間だと思っている。感謝のお金は何も生まない。物事を陳腐に、醜く、薄っぺらく、そして無価値にする。僕はビジネス的な金銭取引や貨幣経済を否定しているわけではない。お金は無くてはならない存在であるし、金銭をひとつのツールとして社会貢献や経済活動を担うのは言うまでも無く人々の生活を豊かにしている。レストランで次来た時の待遇を逆算してチップを払う人も好きにすればいい。ただ、お金に変換できない価値の対価をお金で払うことに対しては物凄く嫌悪感を覚える。お金という紙切れの価値を過信して何事もお金で済ますことが出来るという概念が大嫌いだ。感謝を示す手間を省くためにお金で解決をするという選択を行使している様に見える。お金にその人の気持ちが宿るとは僕には思えない。

 

恋人が誕生日プレゼントに現金を持って来たらどう思うだろうか?

卒業式でお世話になった先生にお金だけを渡すだろうか?

母の日・父の日にお金だけ渡して何を感じるだろうか?

 

溢れ出る優しさや厚意の対価は、溢れ出る優しさや厚意で返せばいい。何度も同じ言葉を繰り返すようだが大切なことは常にシンプルだ。自分が出来ることを心を込めて全うすればいい。歌が得意なら気持ちを込めて歌を歌えば良い。笑顔を作ることが出来るのならば心を込めて微笑めばいい。何も出来なくたって心を込めてありのままの姿でそこに佇めばいいのだと思う。人間が心の底から幸福を感じる瞬間はお金をもらった瞬間ではない。自分の施しを相手が真摯に受け取ってくれた瞬間・自分の施しを相手が喜んでくれた瞬間である。感謝とはそれを心を込めて示すだけで良い。

 

アンパンマンを思い出して欲しい。アンパンマンはお腹が減っている子供(動物?)がいたら、顔をもいで食べさせてあげる。決してお金をあげて食べ物を買いなさいとは言わない。上手く言葉に出来ないし適切な例示か分からないがこれに物凄く近い気がする。身を削ってまでも自分にしか出来ないことで相手へ施す。アンパンマン式御礼法。これが最も重要で最も感謝の気持ちを示す方法だと考えている。

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僕は日本語を流暢に話すことが出来る。日本人だからだ。日本語を勉強したいと話した彼に夜遅くまで心を込めて日本語の授業を行った。僕は一眼レフカメラを持っている。家族を愛する彼らには家族写真を心を込めてたくさん撮ってプレゼントをした。僕がしたふたつのことは僕がいなかったら出来なかったことだ。

 

相手の心遣いをお金だけで返すのは失礼だ。そしてチップのような形でお金をもらうことで喜びを感じてしまう人も可哀想だ。彼から貰ったお金と彼女から貰ったお金は同等の価値しかない。しかし、彼にしか出来ない施しと彼女にしか出来ない施しは価値が全く違う。

 

お金で人を繋ぐのは難しい。心を込めた施しで人を繋ぐのは容易だ。

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アタリマエの定義を探しに…