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マダガスカルでカラヲステル

マダガスカルでのインターンブログ

NatureとNatural-人の本来の欲求が溢れ出す-

 

“Nature”に触れると人は“Natural”になる。

言葉を失うような大自然を前にすると、人が本来心の奥底に秘めている感情が溢れ出して自然体になることが出来る。

 

六月に屋久島にトレッキングをしに行った。十時間山道を歩く過酷なトレッキングだが、大地と水が育んだ樹齢何千年の屋久杉は壮観で期待を裏切らなかった。そしてひとりで何も決めず当てもなく訪ねたが、結果として非常に多くの人と触れ合い一人で食事をすることは一度も無かった。バス停で出逢った方たちとは本当に楽しい時間を過ごさせてもらった。山ですれ違ったおじさんとは一緒に深夜までお酒を飲みながら話をした。宿の女将さんは家に招待してくれて手料理をご馳走してくれた。宿で出逢った方は翌日車で観光案内をしてくれた。言葉にすると恥ずかしいぐらい僕は毎回人の優しさに甘えている。

 

ムルンダヴァのバオバブ並木は絶景だった。朝日を浴びる姿、夕日に染まる姿、どれをとっても地球上にこの景観が残っていることが誇りに感じられた。モザンビーク海峡に沈む夕日を見て、猿たちが住む森へ入る。漁村で地引網を手伝い、零れ落ちそうな満点の星空を見上げて目を瞑る。自分が異空間にいるような気がしたり、逆に今まで自分が異空間にいてやっと安らげる場所に帰って来たような気がしたりした。

 

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その瞬間に心の奥底に秘めている感情が溢れ出す。

“今自分が目の当たりにしている風景を大切な人に見せたい。”

“この感動を隣にいるあなたと共有したい”

“この景色を自分の孫の世代にも見て欲しい”

 

言葉を失う様な大自然の絶景を前にするとなぜか心がオープンになる。それはこの絶景を誰かと共有したい、誰かと心を通わせたい、誰かと一緒に喜びを噛みしめたいという人間が本来持っている欲求が湧き出るからだ。大自然に囲まれると日々の生活や社会で生き抜くために作り上げられた免疫が崩れ落ちる。母なる大地に戻って来たという感覚が、不必要で異質なものを綺麗さっぱり洗い落としてくれる。人は心の底では相手との繋がりを求めて、助け合いながら皆が幸せに暮らすことを願っているのだと思う。真相は定かではないが“Nature”という言葉から“Natural”という言葉が派生したのは、自然を前にすると自然体になる、そんな意味が示唆されているのではないかと思っている。

 

一般的に東京の人間は冷たいと言われる。そして対照的に田舎の人々は優しいと言われる。きっとその理由は単純だ。田舎の人は自然に触れて“Natural”だからだ。屋久島での出来事が特に印象的だったのは、現地の人だけが優しいのではなく触れ合った優しい人たちの多くが都会から来た人々だったことだ。自然に触れて人と接したい・人と話したい、そんな気持ちになるのだろう。首都であるアンタナナリボではスリと強盗には十分注意しなければならない。田舎であるムルンダヴァにはそんな人はいないと言われた。これが身に着けていた異質で不必要なものが抜け落ちた、底抜けに優しく・人懐っこい人間の本来の姿なのだ。

 

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自然と向き合う。

見失った自分を取り戻すのは風の息吹であり、海の囁きであり、雨の潤いであり、山の厳しさであり、太陽の温もりであり、月の明るさであり、そして人の優しさである。

 

アタリマエの定義を探しに…