マダガスカルでカラヲステル

マダガスカルでのインターンブログ

日本語教師ふたつの学び-無知の知と幸福感-

 

最近マダガスカル日本語学習者数はケニアを越えてアフリカで一番になったそうだ。JICAの日本語教員も派遣され、マダガスカル日本語教育が更に拡大される。世界200か国以上に国の中で唯一日本だけで使われる日本語が、マダガスカルで拡大していることを本当に嬉しく思う。決して日常生活の中で日本語を使う機会が多いわけではないし、習得が容易な言語であるわけでもない。それにも関わらず日本の持つ文化をこよなく愛し、アニメや武道を日本語の原文を通じて嗜みたいと思ってくれている。先日ブログで書いたが、日本が持つソフトパワーの力は絶大だ。

 

会社のCSR活動の一環として日本語の教師を二か月間務めていた。普段何気なく使う日本語を教師として扱うことは本当に難しく、思うように伝えることが出来ず苦戦する日々を過ごした。しかし、僕の拙い講義を真剣な眼差しで聞いてくれる生徒を見ていると、真摯に向き合いたいという思いが生まれ非常に貴重な時間を過ごさせてもらったなと思っている。当初の不安な気持ちや何をしていいか分からない困惑はいつしかどこかに消えて、教えることを楽しく感じる様になり、授業の終了を寂しく感じ出しているから不思議だ。授業の最後には生徒からマダガスカルの伝統的な洋服と帽子と織物を頂いた。みんなで食事に出かけ、もっと授業をしてくれないかとの依頼まで受けてしまい本当に先生冥利に尽きる。本当に嬉しかった。二か月という限られた時間の中でどれほど彼らにとって有意義な時間を提供出来たかは分からない。逆に彼らから学ぶことが多かった。特にふたつのことを強く感じている。

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①どこまでも学び続けようとする姿勢

最初の授業で生徒と顔を合わせた時に驚いたこと、それは生徒の平均年齢が高いということだ。失礼ながら僕と年齢の変わらない大学生が中心になると思っていた。しかし実際には大学生よりも圧倒的に社会人、特に年配の方が多かった。日本語学習に対する姿勢も素晴らしくノートに一字一句逃さず書くのはもちろんのこと、ノートに質問をびっしり書いて僕に渡してくれた生徒もいた。

 

特に印象深かったのは日本人ガイドを務める方までもが僕の生徒になってくれたことだ。彼とは一緒にムルンダヴァの旅行に行ったのだが、旅行中ことあるごとに僕を質問攻めした。旅行に添乗した日本人の数は1000人を超え、来年還暦を迎える。日本語を扱うプロフェッショナルである彼も、決して驕らず謙虚にそして貪欲に日本語を学習し続けている。

 

古代ギリシャの哲学者ソクラテスの名言のひとつに「無知の知」がある。

真の知への探求はまず自分が無知であることを知ることから始まる。無知であることを知っているという時点で、相手より優れている。賢い者ほど無知であることを自覚している。まさにこの言葉が当てはまり、「無知の知」をもってして真の知への探求を怠らない姿勢に感銘を受けてしまった。本当に見習うべき姿勢を教えてもらった。

 

②求められた時、応えられた時の幸福感

僕は日本語の教師を務めていた。生徒は日本語を学習するために授業に訪れる。ここには生徒と先生という関係が生まれる。生徒は先生に対して日本語の指導を求め、先生はそれに応える。誰かに求められる人になるということが、凄く幸福感が伴うものであることを実感している。

 

マダガスカルで日本人による日本語の授業は今現在、僕が唯一の存在だ。最初はそれに期待して授業に参加する。ただ、二回目からは授業の質が低ければ誰も来てくれはしない。幸運なことに二か月を通して生徒が減ることはほぼ無かった。毎回参加してくれる生徒がいることに「あなたに期待しているよ、あなたを信用しているよ。」という思いを受け取ることが出来る。自分が誰かにとって役に立つ存在になることは、自分を肯定する根拠になる。物凄く大げさに言うならば、自分に価値が生まれた・自分が生まれてきて良かった、という感情が幸福感として胸に沸いた。

 

僕のことを授業以外でも“先生”と呼んでくれる人がいることも本当に嬉しく感じる。それは先生と生徒という縦の関係を構築できたからでは全く無くて、相手の求めるものに応えられたことを意味するからだ。時には難しすぎることを求められて応えることが困難な時もある。ただ期待できない相手、信用できない相手に要求などしない。相手に頼りすぎることが決して良いことだとは思わないが、時として相手に何かを求めることは相手へ賛辞を意味するのかも知れない。

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大切な人だから失礼なお願いをしてはならないという考えはやめよう。大切な人だからこそお願いをしよう。それは期待・信頼、相手への賛辞を込めているのだから。そう思った。

 

教えるという行為は自分が完璧に理解しているからこそ出来る行為である。故に人に何かを教えることは自分の理解を復習する良い方法であり、効果的な勉強に繋がる。今回の日本語教師経験は素晴らしい学びになった。今まで生きてきた中で一度は感じたことのある、アタリマエの感情を復習する機会になったのだから。

 

アタリマエの定義を探しに…

Malaza Societe General