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マダガスカルでカラヲステル

マダガスカルでのインターンブログ

マダガスカルには”人”がいる-心理的な居場所-

 

夜間タクシーに乗っていたら検問に止められた。警察官にパスポートの提示を求められ、パスポートのコピーを提出したら正式な身分証明書ではないと突き返された。「次からは必ず携行するから、教えてくれてありがとう。本当に親切ですね、またどこかでお会いしましょう。」波風立てないように、その場を後にしようとした。”I want drink, give me money”片言の英語で呟かれた。タクシーの運転手は車から降りて警官の隣にいるし、全てがグルの犯行のような気がした。賄賂の要求はこの国では至極当然のことであり、悪びれる様子はない。公式な身分証明書を持っていたところで、マダガスカル語・フランス語が喋れない日本人がいたらお金を巻き上げていたのだろう。賄賂というか恐喝だ。飲み物が何本も買えるような金額を請求され、泣く泣く払うことになった。外国からの多額の援助を受けているというのに、外人に酷い仕打ちをする。この警察官は幸せな脳味噌しか持ち合わせていないようだ。

 

最近非常に共感する一文に出逢った。一度日本でお会いしたことのある方の言葉で、マダガスカルに滞在する今の自分の心情や感情を的確に捉えた。

 

 ”居場所とは、場所では無くて人間だ”

 

最近思うことのひとつ、東京に戻るよりもマダガスカルにいる方が快適に、そして楽しく生活をすることが出来るのではないだろうか。前述したように警官にお金を巻き上げられたり、手荷物の全てを盗まれたりしているのにも関わらずだ。街はゴミで溢れかえり、人に何時間も待たされて、夜は絶対に出歩けなくて、時には食中毒になるにも関わらずだ。どんなマイナスな要素があったとしても、それをプラスにする要素がある。それは、今の僕にはマダガスカルに居場所があるからだ。

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社長にインターン生として与えてもらった居場所がある。日本語教師として与えてもらった居場所がある。家族の一員としてホームステイ先に与えてもらった居場所がある。日本人としてマダガスカル日本人会から与えてもらった居場所がある。

 

僕が持つ居場所に共通して言えることは、僕のことを迎え入れてくれる温かい人がいることだ。それは表面上の意味合いでは無くて、楽しい時に一緒に笑ってくれる人や困った時に親身に助けてくれる人がいることである。僕にとって必要な人が傍にいてくれることであり、僕のことを必要としてくれる人が傍にいることである。居場所は人によって構成されるものであって場所によって構成されるものではない。日本人だからと言って日本に居場所があるとは限らないし、家があるからと言ってその場所が居場所になるとは限らない。会社に勤めていたってただ仕事をこなして、表面的な交友関係を築いているだけでは、そこは決して居場所にならない。極端な例だが、自分の居場所を構成する人の全てがマダガスカルに住んでいるならば、日本人であっても日本では無くマダガスカルが居場所になる。心理的な居場所こそ本当の居場所になる。

 

今回手荷物を全て盗まれた。本当に親身に心配してくれる人がたくさんいて、言葉に出来ない程嬉しい気持ちになった。物を無くしたのにも関わらず、周りの人の好意や思いやりで色々な物を貸して頂いたり貰ったりした。結果的に物が増えているから不思議だ。手荷物を盗まれる経験は、自分の居場所のひとつがここマダガスカルに出来たことを実感させてくれる経験で寧ろ感謝すら覚えている。

 

やっぱり社長の居場所のひとつはマダガスカルにあると思った。社長は何か思いついた時におもむろに知り合いに電話を掛ける。社長が必要とする人は数え切れないほどここにいる。街を歩くだけで何人もの人に声を掛けられる。社長を必要としている人も数え切れないほどここにはいる。辛酸を舐めてまでも十年間マダガスカルに根を張り続けているのは、僕が抱いたような感情をここマダガスカルで同様に感じているからかも知れない。

 

今度は僕が誰かの居場所を作る番だ。場所では無くて人間で居場所は作れるのだから、みんなでみんなの居場所を作ればいい。全ての人にとって地球の全てが居場所になる日が来たら良いなと思った。

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アタリマエの定義を探しに…

Malaza Societe General