読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

マダガスカルでカラヲステル

マダガスカルでのインターンブログ

何も変哲のない平易な日常がじんわりと温かい

 

マダガスカルは今夏であり雨季にあたる。日本の様な猛烈な暑さでは無くて、長袖で過ごせるほど爽やかな暑さだ。日差しは強いものの日陰に入ると涼しく、非常に心地よい。南国の人は明るい人が多くて、寒い地域に著名な哲学者が多いと言われている。肌を見せることは自分をさらけ出すことに近く、他の相手との心理的な距離を近づける。服を着こむことは自分の殻を増やすかの如く、感情のベクトルを自分自身に向けるのかも知れない。先日洗濯物が雨に濡れびしょびしょになってしまった。着るものがない…というのではなく、ずっと雨にさらされていた自分の洗濯物が可哀想になって悲しくなった。バックパックひとつで荷物を限りなく減らしているのだが、モノが少ないと愛着が沸く。単なるユニクロの肌着なのだが大切なもののひとつだ。

f:id:PEICHAMIN:20160118182311j:plain

 

“同じ過ちを繰り返す者は馬鹿だ。”

この言葉は本当に的を射ていると思っていて、ひとつの失敗を無駄にすることなく次に繋げていかなければならない。この言葉に当てはめると僕は馬鹿だ。

 

今まで生きてきた中で何度も同じ失敗をしている。先延ばしにしてしまうことだ。小中学生の頃、夏休みの宿題は最終週に終わるタイプの人間だった。高校では7月中に宿題が終わる人間に成長し、大学では当日の朝に試験勉強を始めるタイプへ退化した。計画的に進めることが最も良い手段であるとわかっていながら、それをすることが出来ない。夏休みの宿題や試験勉強の場合は、提出すれば良くて合格点を叩き出せばいい。早くから取り組んだ場合と、先延ばしにしたことの差異はあまり無く、過ちを挽回することが可能だ。しかし、今回失敗したことは二度と挽回することが出来ない類のものである。

 

人生で経験したことのない何かに初めて挑戦したときの記憶は鮮明に残っている。自分が感動したこと・腹を立てたこと・言葉を失ったこと、感情が大きく動いた瞬間のことも記憶に深く刻み込まれている。しかし、なぜだろうか。何も変哲のない平易な日常がじんわりとした温かさを保っていて、ふとした瞬間に強烈にあの日に戻りたくなる様な感覚に陥ることがある。僕は今更になってマダガスカルにいた当初の日々を振り返り、その感覚に陥るのだ。帰国日間近になって、その瞬間瞬間を全力で噛みしめなかったことを後悔し始めている。8月31日になって初めて焦りだす、試験前日になって焦り出す、日本を帰る日を意識して初めて焦り出すという、あまりにも安易で愚かな過ちを繰り返してしまっているのだ。

f:id:PEICHAMIN:20160118183128j:plain

 

日本語を学ぶ生徒の希望で、個人的な授業を開催させてもらった。恥ずかしいくらいこの国にはお世話になっているので、自分に出来ることがあれば少しでも役に立ちたいという思いからだ。授業後に一緒に食事をしたのだが、大衆食堂で何一つ特別感は無く、日常が詰まりに詰まった時間が言葉で形容できないほどの充足感を僕にくれた。“日本語を勉強する機会をくれて本当に嬉しい”と言ってくれる生徒がいる。来週には日本に帰ると伝えると寂しがるよりも先に“いつ帰ってくる?”と聞いてくれる。“彼女が二人いるから美人な方をプレゼントするよ。あ、日本に帰るんだっけ?じゃあ国際郵便で送るね”とはにかんでくれる。なんだか凄く幸せな時間を過ごした様な気がした。何一つ特別な会話をしているわけでも無ければ、今までしてこなかった会話でもない。ただ異なること、それはひと時も無駄にしてはならないと僕が目を覚ましただけだ。

f:id:PEICHAMIN:20160118184019j:plain

 

“失ってから大切さに気付く”とか“一瞬一瞬を大切に生きる”みたいな巷に溢れる言葉で修飾するのは月並みな表現であまりにも臭い表現になってしまう。ただこの言葉は真だ。普遍で継続的な日常を否定してはならない。非日常に溺れること・日常が予想だにしない瞬間に途切れることで、日常の有難味がくっきりと輪郭を持ち出す。しかし時既に遅しで、その輪郭は虚像でしかないのだ。3ヶ月以上も滞在しているのにも関わらず今更になって気づいている自分が情けない。マダガスカルに到着して右も左も分からない状態のその時から、この国を味わい尽くすることが出来ていたらと、後悔するにはあまりにも遅すぎる。帰国前にこの感覚を味わうことが出来ている分だけ、運が良かったと肯定的に捉えることしか出来ない。

 

僕の滞在はまだ終わっていない。

 

アタリマエの定義を探しに…

Malaza Societe General