マダガスカルでカラヲステル

マダガスカルでのインターンブログ

引き出しに大切にしまいたい-珠玉の言葉-

 

スポーツの世界でこんな言葉がある。強い者が勝つのではなく、勝った者が強いのだ。ビジネスでも同じだ。正しいものが生き残るのではなく、生き残った者が正しいのだ。

 

社長と3ヶ月半時間を共にした。物凄く多くの言葉を頂いた。社長が10年間にわたり孤軍奮闘することで得た珠玉の言葉たちに日々接する機会があったことは物凄く大きい。経営者哲学を綴った本が巷に溢れかえっていて、何が正しいかなんか分からない。ただ確実に言えることは本を読むことなんかより、最前線で戦っている人の生の声は比にならないほどの気付きを僕に与えてくれる。この言葉たちを消化していき自分のモノに出来るように僕なりの解釈を加えつつ整理する。

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僕は欲しいものは全て手に入れてきました。手に入れるまで続けますから。

失敗しても諦めない。挑戦し続けるからこそ失敗は教訓に姿を変え、その教訓が次のより良い一手を生み出す。その繰り返しを続けることでどんな困難な局面でも確実に壁を打ち破り、望んでいる全てのものを手にしている。その姿勢を実践することは極めて難しいことだろう。しかし全てに通ずる学ぶべき姿勢だ。

 

時間は平等なものではなく人を雇うことで増やせます。経営者になって初めて分かりました。

多忙になれば多忙になるほど、自分一人で全てのことをこなすことは難しくなってしまう。そこでその人の時間と経験と能力をお金で買うのだ。例えば1時間かかる書類作成の仕事と1時間かかる商談の仕事があるとする。給料を払いスタッフを雇って書類作成をさせることで、同じ1時間で自分は商談の仕事をすることが出来る。本来2時間かかるところ、スタッフの時間を買うことで1時間で2時間分の仕事をこなせた計算になる。もっと身近な例を挙げればお店で食事を食べるということは、自ら食材を買って・調理して・食べ終わったら皿を洗うという時間を、働いている従業員から買うということになる。逆に働いてる従業員からすると、食事に関わる一連の時間をお客さんに売るという行為だ。大企業の社長は1日が24時間では無くて何100時間へと化けている。

 

海外しかも途上国で起業することは辛いことばかりです。ただ日本では絶対できない程大きな仕事を自分の裁量ですることが出来ます。夢があります。

苦境に立たされる局面が決して少ないわけではない。日本の様に約束は履行されず騙されて泣きを見ることもある。スタッフが勝手に休んでオフィスが時間通りに開かない日もある。それが立て続けに舞い込むと、精神的なダメージは相当なものになるだろう。しかし憔悴している様に映ったことは一度もないので社長の精神力は尋常ではない。そんな難しい環境で戦っている理由の一つに日本では絶対に出来ないことに挑むことが出来る点を挙げていた。省庁が集まる地域、いわば日本で言う霞が関を移転させる提案を国の人間に通してしまったり、家を600軒建てる新たな地域コミュニティを作り上げる案件を実際に動かしてしまったり、湖を観光名所にするための提案や、商業ビル建設の案件を市長に通してしまったりしている。マダガスカルという国を作り上げている。リアルシムシティでそこには夢がある。

 

大変ではありません。毎日が大変だと大変が当たり前になるので大変ではありません。

社長は常に多忙だ。大晦日だって元旦だって休むことなく仕事をしていた。朝の4時に寝て6時には仕事を始めていたりする。アポイントの連絡はあまりにも急で、あっちへ行ってこっちに帰ってきて今度はそっちに行く、みたいなことが頻繁に起こる。いつもいつもそのような時間を繰り返していて体がもつのか心配になることがある。しかし社長曰く、忙しくて大変なのが当たり前であり、慣れてしまっているので大変じゃない。大臣と会ったり、宮中晩餐会に出席したり、市長にアポイントなしで面会したり、国民議会の議長から電話がかかってきたりしている。ポジティブな意味においても大変なことばかりなのだけれど、大変なのが当たり前であり、慣れてしまっているので大変じゃない。常軌を逸していると思った。

 

僕を頼って来てくれる人の力になりたいんです。

社長を頼って毎日色々な人が訪ねてくる。勿論本業としているコンサルティングの仕事や仕事も来るのだが、貿易の仕事など全く関係の無い話も決して少なく無い。ビザの更新に困っているから助けてくれ、中国人の喧嘩の仲裁をしてくれ、日本へ留学するにはどうしたらいいの?など枚挙に暇がない。言ってしまえば僕も社長に頼ってマダガスカルに来たわけであり、負担以外の何物でもない。しかしどの依頼に対しても真摯に対応する。人の役に立ちたいという思いが根底に揺るがないものとして存在しているところを本当に尊敬している。

 

究極の途上国援助は何もしないことです。

親離れしない子供と一緒だ。面倒を見てくれている両親がいる限り子は自立しない。支援してくれる人がいるのなら人々は何もする必要は無くてひたすら脛をかじり続ける。自立する力が身につかないのは必然だ。逆に何もしないとどうだろうか。ある一定数は淘汰されてしまうかも知れないが、どうにか生き残ろうと必死の努力をせざるを得ない。結果的にその国は自分の力だけで立ち上がる。しかし途上国援助がなくなることは恐らくない。それの恩恵を受けている人々がいるからだ。国際協力機構が無くなれば職を失う人がいる。政府開発援助という名目で受注した建築会社などの民間企業も一斉に仕事を失うことになる。途上国援助は穿った見方をするとひとつのビジネス形だ。

 

僕が学んだ言葉の数々はこんなところに書ききれるほど少ないもでは決して無くて、ほんの一部に過ぎない。上手く言葉で表現できるものもあれば、今の未熟な僕の思考回路では整理できないものもある。将来自分が岐路に立った時・実際にビジネスを立ち上げた時、そんな時に心の引き出しを開けて探しだすことが出来るように、大切に温めていきたい。

 

アタリマエの定義を探しに…

Malaza Societe General