マダガスカルでカラヲステル

マダガスカルでのインターンブログ

朽ちる前に動け-方丈記-

 

喫茶店に入れば所狭しとテーブルと椅子が並んでいて、窮屈そうにパソコンを開く人、眉間にしわを寄せて読書をする人、虚空を見つめてタバコを吸う人がいる。養鶏場のひとつのブースに閉じ込められた鶏を思い出した。大都市へと人口が集中し、地方の過疎化が進んでいるというけれど、高い物価を払った上に身動きが取れなくなっているようで滑稽だなと思った。自分で選択する自由があるのにも関わらず、敢えて不自由な道を選んでるように映ってならない。自由を行使して不自由な道を選択している。きっと自分も同じような選択をしているので、明日は我が身だ。

 

 

理由は分からないけれど、ひとつ文章を書いてみたいと思った。マダガスカルでの日々を綴らせてもらったが、文章にするという行為自体は自分の中の混沌としたものに居場所を与えるように、理路整然とした秩序を生み出す効果があると考えている。消化不良だった言葉や感情に額縁をつけて、自分の中にそっと立てかけておく。そうすることで、いつでもその時の答えを掘り起こせるものだ。最近は色々な出来事や言葉に埋没されて、大切なことまでも削ぎ落ちてしまっている。だからもう一度文章を書こうと思ったのかも知れない。

 

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最近心を揺らされた言葉がある。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず

淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

 

 

方丈記」の書き出しに、なぜだろうか、衝撃を受けてしまった。

往々にして、学校教育の中で触れきた文豪たちの名著は、幼き拙い感受性では理解の範疇を越えていて、社会の本質が見えだした頃に初めて響くものである。咀嚼できるほどの経験が相伴って初めて、鋭利な筆跡であることに気づいた。

 

流れている川の流れは絶えることなく続いている。今流れている水は以前のものでは無い。浮かんでいる水の泡は一方で消えたかと思うと他方で新しくできて、長い間そのままの状態ではない

 

 

運と縁が重なってYahoo!という会社に入社したわけであるが、安定した職はまるで癌の如く、知らず知らずのうちに自分の細胞を蝕んでいた。マダガスカルに飛び出した時の様な、変化に対して真っ向から対立することが出来る自分の中の免疫は確実に弱っている。波風を立てないことが正義に感じてしまっていた。しかし、気づいた時には手遅れで、もう自分で立つことも出来なくなってしまう。全ての事象は留まることは無く、常に変化しなければならない。安定した職に、そして毎日の業務に溺れて、今の自分を保ち続けようとしたことを激しく後悔した。かの有名なヘラクレイトスも書き記したように「万物は流転する」のだ。

 

大きな変化でも無くても構わない。ただ、常に変化を起こし続けなければ、自然の摂理に従って人間なんていとも簡単に淘汰されてしまう様な気がした。逆説的な表現になるが、変化を起こせる人はたとえ無謀にも思える壁にぶち当たったとしても、自然の摂理で生かされるのだろう、ふとそんな考えが頭をよぎった。

 

最もリスクが大きいことは全くリスクを冒さないことだ。

現状維持より、大胆な決断の方が確実にリスクが少ないことを800年も前に生きた鴨長明に教わるとは感慨深い。人類の叡智は光だ。

 

大きな変化に躊躇ってしまうのは人間の悲しき性で、自分自身が一番その弱さを知っている。たが、なんにも考える必要は無い。決断を先延ばしにすることが一番自分の寿命を縮めることなのだから。

 

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“朽ちる前に動け”今の自分に強く訴えかけろ。

 

アタリマエの定義を探しに…